■ 年収はそこそこ。でも、全然満たされていない
僕は今、いわゆる“大企業”で働いている。
世間的には「安定している会社」「高収入の部類」と言われるポジションだ。
実際、年収は人並み以上にはあるし、福利厚生も整っている。
でも、それなのに、ふとした瞬間に強烈な虚無感に襲われる。
「何のために働いているんだろう?」
「このまま10年、20年、同じように働き続けるのか?」
朝、目が覚めるとまず憂鬱が来る。
会議に向かう電車の中で、深呼吸を繰り返す。
終わらないメール、横から飛んでくる仕事、責任ばかりが増えていく──
なのに、感謝も報酬も増えない。
■ 何人分の責任を背負わされているんだろう
自分のタスクは本来これだけだったはず、
そう思っていた業務範囲は、気づけば3倍にもなっている。
「人が足りないから頼むね」
「〇〇さんならできるでしょ?」
「これも回しておいて」
断りづらい空気。
頑張れば頑張るほど、“もっとできる人”として業務が積まれていく。
仕事量は増えているのに、給料は据え置き。
評価制度は形だけで、結局“言いやすい人”が便利に使われる構図がある。
■ 「嫌なことを我慢して働くのが社会人」って、本当に正しいのか?
子どものころから、こう教えられてきた。
- 仕事はつらくて当たり前
- 我慢するのが大人だ
- 社会に出たら理不尽も受け入れろ
だから、つらくても「これが社会だ」と思い込んできた。
でも、最近になって思う。
「これは本当に“当たり前”なのか?」と。
楽しくもなく、誰の役に立っているのかも見えず、
ただ“組織を回すためだけの歯車”として生きていく。
その毎日が、本当に自分の人生なのか?
■ 刷り込まれた“常識”が、感性を麻痺させていく
僕らは、気づかないうちに多くの“刷り込み”を受けてきた。
- 安定=会社にしがみつくこと
- 副業=危険、夢物語
- 会社を辞める=負け組
でも、それは“誰かが作った都合のいい常識”ではないか?
本当はもっと自由で、多様で、柔軟な働き方があっていいはずだ。
今の僕は、会社に生活も、時間も、精神も、すべて握られている。
自由の代わりに「安定」をもらっている──
でもその“安定”は、いつ崩れてもおかしくない砂の城だ。
■ 国の制度や環境に疑問を感じている
もちろん、企業の判断だけが原因じゃない。
背景には、国の経済政策や社会制度の影響も大きい。
- 賃金が上がらないのに、税金と社会保険料だけは上がっていく
- 教育費は自己負担が重く、子どもたちは奨学金という名の“借金”で大学に進む
- 製造業が国内で黒字を出しにくい構造になり、海外移転が進む
- 働く人の声より、制度の維持が優先されているように感じる
働いているのに苦しい。
頑張っているのに報われない。
これでは、誰も希望を持てない。
■ 今のままでは「納得して死ねない」と思った
ある日、ふと想像した。
この働き方を、この感情のまま、あと30年続けたら──
果たして、自分は笑って死ねるのか?
- 「やりたいことに挑戦できた」と言えるか?
- 「自分の人生を生きた」と胸を張れるか?
正直、今のままでは無理だと思った。
誰かに与えられた人生を、ただ“消費”しているような感覚だったから。
■ 小さな一歩を踏み出すことにした
いきなり会社を辞めたり、人生を変える必要はない。
でも、“今のままではまずい”という感覚を持てたことが、最初の一歩だった。
- 副業を始めてみた(ブログ・情報発信・小さな収入)
- 好きなことを整理して、形にする準備を始めた
- 自分の強みや経験が、誰かの役に立てる道を模索し始めた
どれもまだ試行錯誤の途中だ。
でも、「選択肢がある」という感覚だけで、少し呼吸が楽になった。
■ 同じように感じている人へ
もしあなたも、
- 「このままでいいのか」と感じているなら
- 「心がついていかない」と思い始めているなら
- 「もっと自由に、自分らしく働きたい」と願っているなら
それは“逃げ”でも“甘え”でもない。
感性が麻痺していない、健全な証拠です。
■ 最後に──これは、あなたの人生だ
この社会は、我慢する人ほど便利に使われてしまう。
でも、だからこそ「自分で舵を取る力」が必要なんだと思う。
今すぐ何かを変えるのは難しいかもしれない。
でも、小さな行動なら、今日からできる。
- 思いを文字にしてみる
- 自分の好きなことを思い出す
- 選択肢をひとつ増やしてみる
その一歩が、未来を変えるかもしれない。
僕は、今でも悩んでいます。
でも、もう「何も感じないふり」をして生きたくない。
ちゃんと自分の人生にチャレンジしたい。
それが、最後に笑える人生につながると信じているから。
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