「一人で過ごすという贅沢 ― 川とバス釣りと、僕の未来の話」

メンタルと習慣

静かな朝。
川沿いの石畳をゆっくりと歩きながら、釣り竿を手に僕は今日もここに立っている。誰にも邪魔されない時間。聞こえるのは、川の流れと鳥のさえずり、そしてときおり竿先を伝ってくる微細な振動だけ。

釣れるかどうかなんて、実はどうでもいいのかもしれない。

僕にとって釣りとは、自分自身と会話をするための時間。都会の喧騒や人間関係から少し距離を置き、自分の原点に立ち返ることができる、そんな“静寂”の時間なのだ。


子どものころ、大好きだったことがいくつかある。

バス釣り。山登り。川でのキャンプ。夏の夜に、カブトムシやクワガタを探して森を歩いた記憶。

あの頃は、お金なんてなくても毎日が冒険だった。何もない田舎の風景の中に、果てしない可能性が広がっていた気がする。

それがいつの間にか、大人になるにつれて「損か得か」「効率がいいか悪いか」といった視点ばかりを気にするようになっていた。


ある日ふと思った。

「俺は本当に、いまの働き方に満足してるのか?」
「このまま雇われ続けて、心から笑って生きていけるのか?」

答えは、すぐに出た。「NO」だった。

僕は、もう雇われたくない。
上司の顔色をうかがって、休みの日すら気を張り続けるような人生には、もう戻りたくない。

だったらどうするか。
自分で稼ぐしかない。
自分の力で、生きていくしかない。


だけど現実は、甘くない。
挑戦にはリスクがある。
成功する保証なんて、どこにもない。

でも、こうして川に立っていると、不思議と前向きな気持ちになる。自然の中で、風に吹かれながら釣り竿を握っていると、目先の不安よりも「自分の好きなことを仕事にしたい」という想いが強くなっていく。


釣りをしているとき、僕は心から自由だ。

川の流れを読むように、人生も読みながら進んでいく。
魚の気配を感じ取るように、自分の進むべき道も感覚で捉える。
水面に映る空を見上げながら、ふと「この道で合っているのか」と不安になることもある。

けれどそれでも、僕はもう戻らない。

一人で立つこの時間こそが、僕にとっての“答え”だ。


釣りは、僕にとって癒しであり、覚悟を確かめる時間でもある。
このルアーで釣れるかどうかよりも、僕は今、自分自身の可能性を試している。
風の音も、川の流れも、すべてが「お前ならできる」と静かに背中を押してくれている気がする。


今の僕には、確かなものは少ない。
だけど、「もう雇われない」という覚悟だけは、本物だ。

好きだった釣りを、好きだった自然を、もう一度人生に取り戻す。
そのために、今日もこうして竿を投げる。

釣れなくてもいい。
何かが始まる予感がすれば、それで十分。

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